2010年01月16日
旅の空の上空は国道だったりする
最近は仕事に振り回される生活にかまけてすっかり自分を失っているような気がしています。
昨年の12月に自転車旅行の人とお話する機会があり、そのとき思ったことがきっかけで、ますますこれではいけないなという気がしてきました。
その後、暮れの年中行事をこなしつつ見たNHKのテレビのなかで、無酸素で雪山を登山しながら自身がその様子をインターネット配信している人のドキュメントや、松井秀喜選手のドキュメントなどで、あれこれ感じることがありました。
登山の人は平凡な学生だったそうで、一念発起して役者の道を目指して上京したもののすぐに挫折、その後に登山を始めて現在に至るという話でしたけど、もともと非凡な才能を持っていた人なんでしょうね。ネット上で共感する方が多くて、サイトのファンは世界中にいるという話でした。
松井選手の話は、もうとにかく人格的に尊敬できる人だなぁという一点に尽きました。NHKオンデマンドなどで再放送として見れるらしいですから、関心のある方はぜひ見てみた方がいいと思われます。
番組を見る以前から、松井選手は人格が立派だなぁと思うことがいっぱいありました。高校野球のときに全席敬遠を食らったりしているのですが、そのことに関して「相手の監督さんの作戦ですから、どう思うということはありません」なんて答える人ですし、その監督さんの息子さんが巨人のファンだと聞いて、自身が巨人に入ったときに、巨人のグッズをその息子さんにプレゼントしたりする人です。毎試合、体が不自由な子を招待していたり、心臓手術の子に寄付をしたり、さまざまなエピソードも伝え聞きます。
私は個人的な印象として、松井選手は心の安定がどっしりしていて近くにいるだけで安心感を与えられるような感じがしています。それは私が不安定な心を持って生まれた(か、そういう育ち方をしてしまったかわからないけど)せいで、常に揺れたり流されたりしつつ今日まで生きてしまっていることと大いに関係あるのかもしれないと思います。
それと関係あるのかないのか、番組の中で、松井には子供のファンが多いのだけれど、とりわけナイーブで引っ込み思案の子も多く見かけるという話が出てきました。作家の伊集院静さんが伊集院さんの目を通してみた松井選手の2004年をずーっとレポートしていて、内面的な部分まで掘り下げて伝えようとする番組でした。で、いわく、「そうしたナイーブな感性をもっている子だけが感じ取ることのできる松井の何か魅力的な部分というものがあるのだろう」という考察が伝えられていました。
私もそうなのかもしれないと考えます。
番組では、松井選手が「いじめを受けている人たちへ」と題する文章を発表していることも伝えていました。その内容を覚えていないので今かけないのだけど、頑張ればいつか思いは届くのだから、あきらめないで、というようなことではなかったかと思います。たぶん、松井選手もそのような思いを実際にもって、子供時代からの憧れであった世界一の野球選手目指して、どんなに困難にぶち当たろうと、これじゃいけないとがむしゃらに頑張っているのでしょうね。その姿から、そのようなメッセージが出ていて、子供たちを引きつけているのかもしれません。
伊集院さんが驚いたことの一つに、松井は一度も他人の悪口をいったことがないというお話でした。ほんとに言ったことがないのですかと聞くと、はいと答える。じゃ、悪口を言いたくなったことはないのですか? と聞くと、「それは山ほどありますよ」と、躊躇なく答えたので、それもまた意外だったと。
続けて番組を見ていると、(松井は)「(他人の悪口を言わないということは)父との約束ですから」と、言っていました。
話は一気に変わりまして、幸せな人・不幸せな人についての判断基準なんてのは世の中にいっぱい存在していると思うんですけど、人間の根源的なところでの一つの判断材料として、「心の中に誰か住んでいる人がいるかどうか?」も、一つの物差しになりそうな気がします。
人間誰にでも、心の中に誰かが住んでいる。それは、亡くなってしまったおばあさんかもしれない。
もし、そういう人が心の中に住んでくれていれば、どんなに寂しい夜道をとぼとぼ歩いていたとしても、ひとりぼっちではないはず。
松井選手の心の中には、もしかすると亡くなっておられるのかもしれないけれども、お父さんが住んでいらっしゃるのかもしれない。そして、お父さんとの約束を今もしっかり守って生きている。
12月の初めに自転車旅行をしている人を見かけました。
以前は外を回る仕事をしていたので、ちょくちょくと見かけたものですが、仕事のスタイルが変わって建物の中にこもってばかりになってしまったので、久しぶりに見た気がしました。
自分もそういうことをやってみたかったけど、やれないまま年取ったしなぁ。
やった人にしかわからないことというものがある。
たとえば、今夜泊まる場所が決まっていない不安というものは大きい、なんて話とか。日が落ちてしまうと一層深刻だとかね。私はそういう経験のある人からお話をうかがって、想像してみたりする。そういう時間は楽しい時間だったりする。

鶴で有名な出水というところで仕事をして、阿久根に差しかかろうかというくらいのところで、前方に赤い色が見えた。

後ろに看板が出ていて、「日本一周」とあります。

マイペースで走っている様子。

追い越して阿久根駅ローターリーにいると、駅前交差点をそのまま南下していきました。

時間的に小学生の下校時間。

この人も日が暮れるまでに宿泊場所を確保しなきゃとか思ってるんだろうなぁという感じのオーラを出していました。

コンビニに立ち寄ったら、同じく雑誌コーナーで休憩中? だったので声かけて話をしました。

自転車用のグローブというのものは、手のひら側にパッドが入ってるんですね。
私はバイクに乗ってた時があるのですが、バイク用というのは手の甲の側にパッドがあって、手のひら側はグリップの感触などを感じ取れることが大事なので、革だけなんですよ。
握手してもらったらどんな感触なのかわかったかなと、別れた後で思ったんですけどね。
いろんな話を短時間のうちにしたような気がします。
しかし、一時間とは言わないくらいしゃべったかも。
コンビニを出たらすっかり日が落ちて月が明るい夜になってしまっていました。

だんちゃんさん? は、教員を目指すそうですけど、教え子さんの心の中に住まわせてもらえるような人になってくださいね。
では、また会える時を楽しみにしていますよ。
最後になりましたけど、旅は12月28日に終了だったんですね。無事帰着されて何より。お疲れさまでした。
昨年の12月に自転車旅行の人とお話する機会があり、そのとき思ったことがきっかけで、ますますこれではいけないなという気がしてきました。
その後、暮れの年中行事をこなしつつ見たNHKのテレビのなかで、無酸素で雪山を登山しながら自身がその様子をインターネット配信している人のドキュメントや、松井秀喜選手のドキュメントなどで、あれこれ感じることがありました。
登山の人は平凡な学生だったそうで、一念発起して役者の道を目指して上京したもののすぐに挫折、その後に登山を始めて現在に至るという話でしたけど、もともと非凡な才能を持っていた人なんでしょうね。ネット上で共感する方が多くて、サイトのファンは世界中にいるという話でした。
松井選手の話は、もうとにかく人格的に尊敬できる人だなぁという一点に尽きました。NHKオンデマンドなどで再放送として見れるらしいですから、関心のある方はぜひ見てみた方がいいと思われます。
番組を見る以前から、松井選手は人格が立派だなぁと思うことがいっぱいありました。高校野球のときに全席敬遠を食らったりしているのですが、そのことに関して「相手の監督さんの作戦ですから、どう思うということはありません」なんて答える人ですし、その監督さんの息子さんが巨人のファンだと聞いて、自身が巨人に入ったときに、巨人のグッズをその息子さんにプレゼントしたりする人です。毎試合、体が不自由な子を招待していたり、心臓手術の子に寄付をしたり、さまざまなエピソードも伝え聞きます。
私は個人的な印象として、松井選手は心の安定がどっしりしていて近くにいるだけで安心感を与えられるような感じがしています。それは私が不安定な心を持って生まれた(か、そういう育ち方をしてしまったかわからないけど)せいで、常に揺れたり流されたりしつつ今日まで生きてしまっていることと大いに関係あるのかもしれないと思います。
それと関係あるのかないのか、番組の中で、松井には子供のファンが多いのだけれど、とりわけナイーブで引っ込み思案の子も多く見かけるという話が出てきました。作家の伊集院静さんが伊集院さんの目を通してみた松井選手の2004年をずーっとレポートしていて、内面的な部分まで掘り下げて伝えようとする番組でした。で、いわく、「そうしたナイーブな感性をもっている子だけが感じ取ることのできる松井の何か魅力的な部分というものがあるのだろう」という考察が伝えられていました。
私もそうなのかもしれないと考えます。
番組では、松井選手が「いじめを受けている人たちへ」と題する文章を発表していることも伝えていました。その内容を覚えていないので今かけないのだけど、頑張ればいつか思いは届くのだから、あきらめないで、というようなことではなかったかと思います。たぶん、松井選手もそのような思いを実際にもって、子供時代からの憧れであった世界一の野球選手目指して、どんなに困難にぶち当たろうと、これじゃいけないとがむしゃらに頑張っているのでしょうね。その姿から、そのようなメッセージが出ていて、子供たちを引きつけているのかもしれません。
伊集院さんが驚いたことの一つに、松井は一度も他人の悪口をいったことがないというお話でした。ほんとに言ったことがないのですかと聞くと、はいと答える。じゃ、悪口を言いたくなったことはないのですか? と聞くと、「それは山ほどありますよ」と、躊躇なく答えたので、それもまた意外だったと。
続けて番組を見ていると、(松井は)「(他人の悪口を言わないということは)父との約束ですから」と、言っていました。
話は一気に変わりまして、幸せな人・不幸せな人についての判断基準なんてのは世の中にいっぱい存在していると思うんですけど、人間の根源的なところでの一つの判断材料として、「心の中に誰か住んでいる人がいるかどうか?」も、一つの物差しになりそうな気がします。
人間誰にでも、心の中に誰かが住んでいる。それは、亡くなってしまったおばあさんかもしれない。
もし、そういう人が心の中に住んでくれていれば、どんなに寂しい夜道をとぼとぼ歩いていたとしても、ひとりぼっちではないはず。
松井選手の心の中には、もしかすると亡くなっておられるのかもしれないけれども、お父さんが住んでいらっしゃるのかもしれない。そして、お父さんとの約束を今もしっかり守って生きている。
12月の初めに自転車旅行をしている人を見かけました。
以前は外を回る仕事をしていたので、ちょくちょくと見かけたものですが、仕事のスタイルが変わって建物の中にこもってばかりになってしまったので、久しぶりに見た気がしました。
自分もそういうことをやってみたかったけど、やれないまま年取ったしなぁ。
やった人にしかわからないことというものがある。
たとえば、今夜泊まる場所が決まっていない不安というものは大きい、なんて話とか。日が落ちてしまうと一層深刻だとかね。私はそういう経験のある人からお話をうかがって、想像してみたりする。そういう時間は楽しい時間だったりする。

鶴で有名な出水というところで仕事をして、阿久根に差しかかろうかというくらいのところで、前方に赤い色が見えた。

後ろに看板が出ていて、「日本一周」とあります。

マイペースで走っている様子。

追い越して阿久根駅ローターリーにいると、駅前交差点をそのまま南下していきました。

時間的に小学生の下校時間。

この人も日が暮れるまでに宿泊場所を確保しなきゃとか思ってるんだろうなぁという感じのオーラを出していました。

コンビニに立ち寄ったら、同じく雑誌コーナーで休憩中? だったので声かけて話をしました。

自転車用のグローブというのものは、手のひら側にパッドが入ってるんですね。
私はバイクに乗ってた時があるのですが、バイク用というのは手の甲の側にパッドがあって、手のひら側はグリップの感触などを感じ取れることが大事なので、革だけなんですよ。
握手してもらったらどんな感触なのかわかったかなと、別れた後で思ったんですけどね。
いろんな話を短時間のうちにしたような気がします。
しかし、一時間とは言わないくらいしゃべったかも。
コンビニを出たらすっかり日が落ちて月が明るい夜になってしまっていました。

だんちゃんさん? は、教員を目指すそうですけど、教え子さんの心の中に住まわせてもらえるような人になってくださいね。
では、また会える時を楽しみにしていますよ。
最後になりましたけど、旅は12月28日に終了だったんですね。無事帰着されて何より。お疲れさまでした。
Posted by ひで at 18:20│Comments(0)

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