2012年01月19日
最近読んだ本:みんなの写真・ソーシャル時代の写真の撮り方
最近読んだ本の中で写真関連のもののうち、読んで良かったなぁと思ったのはこれです。
楽しい みんなの写真 ソーシャル時代の写真の撮り方・楽しみ方
アマゾンのページだと
http://www.amazon.co.jp/%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F-%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%8F%E6%92%AE%E3%82%8B%E3%80%81flickr%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%80%82%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%81%AE%E6%92%AE%E3%82%8A%E6%96%B9%E3%83%BB%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%BF%E6%96%B9-%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%8D/dp/4861007542
です。
http://blog.zikokeihatu.com/archives/-flickr.html
携帯電話が爆発的に普及し、それに付くようになったiモードなるものがネットの一大勢力になってさらには電話にカメラ機能がつくようになって写メールなんてものが出てきたあたりから素人が素人なりに楽しむ「写真」って、無視できない存在なのではないかと、10年くらい前に考えたことがあります。
私はずっと以前からカメラや写真が好きでしたけど、携帯が出てきて以降の写真の意味ってのが気になっていました。
その辺のことがこの本に出ています。
もちろん、新しい写真ってのはデジタルのテクノロジーを下敷きにしているものです。
その写真ってのは、銀塩って呼ばれる昔からの写真とはまったく様子の違うテクノロジーで実現されているわけです。
写真行為そのものは銀塩でもデジタルでも変わらないと思うのですけど、楽しみ方、楽しまれ方は随分と違っていると思います。
銀塩ジジィってのが「デジタルなんかニセモノでしかない」っていう気分もわかる自分ですけど、一方で新しい写真がワクワクするものでもあるのは、事実ですし、紛れもなく現実ですし、否定するのは現実を否定することでもあるから、そんなことをするのは後ろ向きだと思うわけです。
そう思う自分が写真を撮るのは、どうしてだろうと思ったときに、わからなくなるわけです。
このことでネット上で議論してかなり消耗してしまったこともあります。
その時の経験についての答えを出したいという気持ちもあったんですけど、この本が見事にそれを説明し、実践してしまっているのでかなりすっきりしたと、そういうことなんです。
まえがきには、「写真がうまくなりたいかと言われたらうまくなりたいと思うけど、じゃ、何のためにうまくなりたいのか?」って問いが書かれています。
もしかしてうまい写真が撮りたいのではなくて、「うまい写真が取れる証拠写真が撮りたいだけなんじゃないか」って畳みかけてくるわけです。
なるほど、そうだ。
自分だってこの位なら撮れるぜ、という見本を(証拠を)撮りたいんだ。
でも、そんなことをする必要のない時代になっているのだ、ということなんです。
まぁ、詳しいことは本に書いてあります。
で、Flickrです。
もう5年以上も前にアカウントを取って放置していたんですけど、改めてじっくりつきあってみようと思い、プロアカウントにして再スタートしました。
http://www.flickr.com/people/13401501@N08/
これで見れるかしら?
ネットのサービスで2004年にスタートしたものがずっと続いているというのは、かなり長持ちの方じゃないかと思われます。この先何年続くのかわからないけど、とりあえずFlickrは私も続けてみようと思います。
facebookとかtwitterはいまいちなじんでないんですけどね。mixiはソーシャルネットワーク独特の窮屈さがあって、あまり乗り気でやってはいないんです。
Flickrも言われて気がついたけど、実は巨大なソーシャルネットワークなんです。だけど、あまり濃密な付き合いじゃないというところがいいです。

鹿児島市紫原 鹿大通りに接続する新しい道を作っている所。歩行者用の? 階段のようですが、手すりがまだ付いていなので、ここを歩くとかなり怖いのかも。

鹿児島市宇宿町にて。曇天でモノクロっぽい光景。
楽しい みんなの写真 ソーシャル時代の写真の撮り方・楽しみ方
アマゾンのページだと
http://www.amazon.co.jp/%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%84%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F-%E3%81%A8%E3%81%AB%E3%81%8B%E3%81%8F%E6%92%AE%E3%82%8B%E3%80%81flickr%E3%81%A7%E8%A6%8B%E3%82%8B%E3%80%82%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%81%AE%E6%92%AE%E3%82%8A%E6%96%B9%E3%83%BB%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%81%BF%E6%96%B9-%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AB%E3%81%BE%E3%81%95%E3%81%8D/dp/4861007542
です。
http://blog.zikokeihatu.com/archives/-flickr.html
携帯電話が爆発的に普及し、それに付くようになったiモードなるものがネットの一大勢力になってさらには電話にカメラ機能がつくようになって写メールなんてものが出てきたあたりから素人が素人なりに楽しむ「写真」って、無視できない存在なのではないかと、10年くらい前に考えたことがあります。
私はずっと以前からカメラや写真が好きでしたけど、携帯が出てきて以降の写真の意味ってのが気になっていました。
その辺のことがこの本に出ています。
もちろん、新しい写真ってのはデジタルのテクノロジーを下敷きにしているものです。
その写真ってのは、銀塩って呼ばれる昔からの写真とはまったく様子の違うテクノロジーで実現されているわけです。
写真行為そのものは銀塩でもデジタルでも変わらないと思うのですけど、楽しみ方、楽しまれ方は随分と違っていると思います。
銀塩ジジィってのが「デジタルなんかニセモノでしかない」っていう気分もわかる自分ですけど、一方で新しい写真がワクワクするものでもあるのは、事実ですし、紛れもなく現実ですし、否定するのは現実を否定することでもあるから、そんなことをするのは後ろ向きだと思うわけです。
そう思う自分が写真を撮るのは、どうしてだろうと思ったときに、わからなくなるわけです。
このことでネット上で議論してかなり消耗してしまったこともあります。
その時の経験についての答えを出したいという気持ちもあったんですけど、この本が見事にそれを説明し、実践してしまっているのでかなりすっきりしたと、そういうことなんです。
まえがきには、「写真がうまくなりたいかと言われたらうまくなりたいと思うけど、じゃ、何のためにうまくなりたいのか?」って問いが書かれています。
もしかしてうまい写真が撮りたいのではなくて、「うまい写真が取れる証拠写真が撮りたいだけなんじゃないか」って畳みかけてくるわけです。
なるほど、そうだ。
自分だってこの位なら撮れるぜ、という見本を(証拠を)撮りたいんだ。
でも、そんなことをする必要のない時代になっているのだ、ということなんです。
まぁ、詳しいことは本に書いてあります。
で、Flickrです。
もう5年以上も前にアカウントを取って放置していたんですけど、改めてじっくりつきあってみようと思い、プロアカウントにして再スタートしました。
http://www.flickr.com/people/13401501@N08/
これで見れるかしら?
ネットのサービスで2004年にスタートしたものがずっと続いているというのは、かなり長持ちの方じゃないかと思われます。この先何年続くのかわからないけど、とりあえずFlickrは私も続けてみようと思います。
facebookとかtwitterはいまいちなじんでないんですけどね。mixiはソーシャルネットワーク独特の窮屈さがあって、あまり乗り気でやってはいないんです。
Flickrも言われて気がついたけど、実は巨大なソーシャルネットワークなんです。だけど、あまり濃密な付き合いじゃないというところがいいです。

鹿児島市紫原 鹿大通りに接続する新しい道を作っている所。歩行者用の? 階段のようですが、手すりがまだ付いていなので、ここを歩くとかなり怖いのかも。

鹿児島市宇宿町にて。曇天でモノクロっぽい光景。
Posted by ひで at 00:53│Comments(0)
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